もうかなり年月は流れましたが・・・我が家でも中学受験を経験しました。小学校3年生の2月から中学受験のための塾通いを始め、6年生になると、テストの日も含めれば週に4回の塾通い、でした。その3年間、数え切れない小テストと、6年になってからは志望校別の模擬テストを繰り返したものです。
当時は、それが中学受験をするためには「当然のこと」と感じていましたし、まわりも皆、そういう生活を送っていたので、時々、ふっと「???」と思うことはあっても、でも、結局は平常心に戻り、「だって、中学受験をするんだもの!」と、その異常とも思える勉強漬けの生活を送ることができたのです。
我が子の場合は、系列中学のない私立小学校に在学していましたので、同級生全員が中学受験をする環境でしたので、その勉強漬けの生活は、ごくごく自然に受け入れられていたように思います。
思えば・・・中学受験は、悲しいくらいに非常に明解です。大手塾が発表する各学校の偏差値という「数値」は絶対であり、それは決してアバウトなものではありません。そして、ほとんどの学校では子どもの面接も、当然、親の面接もなく、一発勝負の「学力テスト」が入学試験であり、そこでの正答率の高さが、そのまま合格につながります。
要するに、合否の基準は、すべて「その日、その時の試験の結果、点数」です。ですから、残酷なほどに、中学受験には大きな「背伸び」も「無謀なチャレンジ」もあり得ない・・・奇跡は起こらない、もともと、そういうシステムになっているのです。
解けない算数の問題、書けない漢字の書き取り、わからない電池の問題、忘れてしまった川や平野の名前・・・これで点数が減点され、どんどん合格に必要な点数から遠ざかっていく・・・
すべての問題が解けた子ども、限りなく100点に近い子どもが合格を勝ち取り、その子が不合格になることは絶対にあり得ない世界、それが中学受験です。
その日に出題された問題を、いかに正確に、一つでも多く時間内に解いていくか?それが、合否にかかっている!それしかありません。
偏差値が60以上の学校ともなると、まさに1点のつばぜりあい・・・計算問題一つ、漢字の書き取り、読みの一つが命取りになります。
しかし!小学校受験が、本当にこういう中学受験と同じだ、というふうに思われますか?
もし、小学校受験というものが、中学受験の小型バージョンならば・・・
なぜ、両親に「志望理由」や「家庭での教育方針」等を事前に記入させる学校が多いのでしょうか?
なぜ、働き盛りの年代のお父様まで駆り出され、親子で揃って面接に臨まなければならないのでしょう?
本当に小学校受験が、中学受験の小型バージョンであり、数値がすべてだとすれば、願書も名前と住所だけを記載する極々簡単なものにして、子どもの面接も、親の面接もせず、決められた試験日に登校し、学力を判断するためのペーパーテストだけを実施すれば良いのではありませんか?
最近、考査の中で、非常にウエイトが高くなったと言われる「行動観察」や「自由遊び」、「集団行動テスト」。グループを構成する子ども達の人柄や月齢差、身体の大きさや男女比等、全グループ均一にすることは不可能です。この事実を思えば、ある程度の採点の基準はあっても、一定の点数には置き換え難い条件ばかり、でしょう。「運動テスト」にしても、身体的発達の違いによって、この年齢の子ども達では、運動能力にかなりの差が出てきます。
さあ、いかがですか?
こうして、一つひとつのことをじっくりと考えていくと、小学校受験というものは、ほとんどの面で、中学受験とは違う要素を持ったものである、とうことが自ずと見えくるのではないでしょうか?
幼児教室マナーズ代表(神奈川県横浜市港北区日吉本町 1-23-9 タケノビル3階) 1958年生まれ。大阪府堺市出身。 幼児教室マナーズホームページに南坊先生の詳しいプロフィールが掲載されています。ぜひご覧下さい。 |
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